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橘一について
創業者紹介
創業者である青木 一三は、小学校卒業(1912年)と同時に着物の紋を書いたりシミ抜きをする紋屋を家業とする叔父に預けられ、修行の日々を送ります。当時は技は見て盗むという時代。持ち前の研究心でシミ抜きの技を習得していきました。
7年の奉公の年季開け、さらに1年間の御礼奉公を終え、徴兵検査で肺が悪いとの診断を受けたため、1年間の療養。21歳の時に、別家(※)として働くよう望まれ、橘一商店として独立し、親方の職場に通い番頭として勤めます。
大正12年に結婚、養子となり「原」に改姓。名古屋市中区上日置町(現:松原町)の長屋に住み、約1年後に親方の職場から離れ、この小さな長屋の一角が「橘一」の新たな職場となりました。
※別家…奉公人が主人からのれん分けを許されて独立すること。
創業者 原 一三(旧姓 青木 一三)
紋屋から着物総合加工業へ
終戦の混乱や不景気を乗り越え、一三の三人の息子たちも橘一の職人として携わるうち、需要も増えていったと伝え聞きます。その子供たちも役員となり、上日置町の家の他にも4軒の職場を拡げていきます。実直に紋を書き、シミ抜きの技術が認められた証ではないかと想像します。さらにお手入れやお直しはできないか…と着物の他のご要望も徐々に増え、それに応えていくようになったそうです。
シミ抜きやお直しなどひとつとして同じものはなく、お客様の気持ちに応えたいという想いでご要望に応えていった先代や職人たち。その姿勢は創業者から引き継がれ、仕立て、京洗い、さらに海外縫製とお客様のご要望に真摯にお応えすることで、着物を専門とした総合加工業として成長し、現在に至ります。
近年、溶剤を用いるお手入れや最新設備の導入、業界の法令遵守などもあり、名古屋市中区から北名古屋市の工業団地へ本社・工場を移転いたしました。「着物」という文化を後世に伝えることと、新しい技術への挑戦や設備の導入なども着物に関わるものとしての使命と考えております。
沿革
1912年〜1921年 (明治45年〜大正10年) |
創業者 青木一三が名古屋市中区の紋屋で修行。御礼奉公も含め、紋屋として研鑽を重ねる。 |
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1922年(大正11年) | 橘一商店創業。番頭として勤める |
1924年(大正13年) | 橘一商店として親方から完全独立 |
1971年(昭和46年) | 株式会社橘一へ法人改組 本社社屋(名古屋市中区松原町)、工場(名古屋市守山区)完成 原 康 社長就任 |
2006年(平成18年) | 本社・工場を北名古屋市へ移転 |
2010年(平成22年) | 原 康幸 社長就任 |
会社概要
社名 | 株式会社 橘一 |
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本社所在地 | 〒481-0041 愛知県北名古屋市九之坪半野14番地 |
設立 | 昭和46年1月 |
資本金 | 4,000万円 |
代表者 | 代表取締役社長 原 康幸 |
従業員数 | 100名 |
取引銀行 | 十六銀行熱田支店 三菱UFJ銀行金山支店 |